季節のない街に生まれ
風のない丘に育ち
夢のない家を出て
愛のない人にあう
泉谷しげるさんの「春夏秋冬」は、私の中でとても特別な曲です。
ただそのままの言葉の意味だけを指でなぞるととても寂しい内容ですが、そこにある本当の意味を読み解こうとするのが好きで、思い出してはたまに歌ってみる。
普段私は私の私生活について多くは語ってないはずだ。
語るようなことは何もなく。
仕事して、帰ってきて、家事をし、ご飯を作って食べ、ダーに愛してるって言って、SLを楽しむ。
そんな毎日の繰り返し。
そこに侘びしさを感じるときも人間なのであるけれども、それが大部分を占めているわけではない。
むしろ、語るに価しないであろう季節の移ろいに一人身を委ねて小さな喜びを感じているのが多い。
今日は風がさわやかだった、とか。
今日の夕焼けの色が格別だった、とか。
水たまりの水で水浴びをする小雀が可愛かった、とか。
ご飯がうまく炊けた、とか。
スーパーで会った赤ちゃんの足がふっくらしてて可愛かった、とか。
農家販売所で買ったピーマンの表面がおもしろいほど光っていたとか。
タンポポの綿毛がふわふわ飛んで可愛かった、とか。
猫がケンカしてたとか。
牛乳がおいしいとか。
磨りガラスにあたった日光が虹の光彩をきらめかせているとか。
雨音が素晴らしいとか。
テントウムシの赤が鮮やかだったとか。
ブロック塀にカタツムリがへばりついてるとか。
ワーッとなっているときには気づけないけど、平常な心で見れば
普段の日常で感じる美しさ、心地よさの多いこと。
平気で見逃せるところに、大きな世界で見ればごく当たり前のことが、感動的に美しい。
でも、言葉にするほどではない。
それはごくごく平凡で、些細なこと。
でも、このごく平凡なことが、一番素晴らしい。
何もないのが、一番快適。
そんな中で、その他の要因として、人として満たされる出来事があったとしよう。
実に感動的で、泣けます。
人として、人とつながる。つながっていると感じる。
これも特別な事じゃないのかも知れない。
でもそのつながっている感動は、どう文章にしていいのかわからないほどのことだ。
と、語りたくなるほど、私は昨日、満たされました。
Probably,Perhaps,Surely... everyday event
2008-06-30
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2 comments:
よかったね、まぐ。
うん^^
ありがとう。
本当に嬉しかったんだ♪
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